識者によると、パチンコ業界では顧客満足という言葉が
誤った方向に一人歩きしているようで大変不快であるという話。
wikiをひもとくと、
顧客満足(こきゃくまんぞく)とは、Customer satisfaction (CS) の訳語である。顧客満足度とも呼ばれる。人は物品を購入するとき、その物品に何らかの満足を感じたときに購入するとの考え方で、企業においては、その度合いを定期的に評価し、次期商品開発に結びつけたりする時に使うことがある。
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物を扱う商売は、買った側も、売った側もたいてい満足する。
目的がモノを買うことだからだ。
パチンコ屋は、賭博産業であるため
客は勝ち負けの博打をするためにのみ来店する。
負ければはげしく怒り、店をののしり
勝てば自分が勇者にでもなったかのように、意気揚々となる。
ぱちんこもパチスロも、いまや客の勝率は10%程度だろう。
10回いけば9回負ける。
ほとんどが、店への恨みと怒りのみを残して退店するのだ。
顧客満足なんてあったもんじゃない。
もちろん、店員の顔や接客なんて覚えていない。
店員が普通の行動をとっていればそれは空気みたいなものだ。
逆に大手ホールのように、店員人気投票wとか
目立ちたいのかわざとらしい笑顔や過剰接客が
はなについて不快に見えたり、
ひどい対応をした、店員だけが際立ってしまう。
普通の対応は空気であり関心がない、0だ。
ひどい対応や大手ホールの接客はマイナスに映る。
0とマイナスを足せば、
パチンコ屋の店員の存在は総合的にはマイナス評価ということだ。
接客とは、大多数の客にとっては
やらないよりやったほうが少しはましじゃないかという程度
それを一番に掲げるような、脳のないホールは
玉を出さずに、抜ききるためのごまかしでしかない。
田舎の稼働のないホールは、病院の待合室代わりに
死にかけた汚いじじいババアの
たまり場になっているかもしれないが
都会では、店員と客が親しげに話しているのを見ると
癒着をうたがってしまうということ。
一人の客から信頼を得ても、多数の客から不信感を持たれる。
客にとっては、店員なんかより
各台計数の方がまだよく働いてくれるので
店員なんてカウンターと、
補給づまりや表づまりを直すだけしか用がない。
はっきりいって邪魔な存在である。
店員の存在価値はない。
だが、価値がないとなると経営側は店員に働く意義をもたせて
洗脳させないとやばいというわけで
あれこれ悪だくみをとるわけだ。
リッツカールトンよろしく
とってつけたような
社是や、信条(クレド)を作り、唱和させたり
無理やり社員に社会貢献活動をさせて、地域の役に立ってるごっこをしたり
とにかく、洗脳
まず洗脳
社員をだましぬくのはたいへんなわけだ。
そして、今「居酒屋甲子園」というものが
ブラック企業の従業員を洗脳させるツールとして世間から不評を極めており
パチンコ業界でも、同様の趣旨の「接客甲子園」というものがある。
いづれも、働き手側に脚光をあびせ、演壇にたたせることで主役にし、
それに向けてひたすら無垢に取り組ませることで
普段の低賃金単純労働という、
報われることのない苦労から目を逸らさせるという、
あざとい仕組みの様だ。
ただただ単純労働する、文句の言わない労働機械が欲しい経営側に対し、
それを作り上げる仕組みとしての、洗脳活動
従業員側に
体育会系の頭のおかしいとは言わないが
頭が悪い奴が何人かいて、
そいつらが変にたぎって
勝手に盛り上がってくれると
経営側としては非常にうれしい。
世間一般から反発をあびるこれらのイベントだが
身内でひっそりと、経営者と従業員のためだけに
やっているだけなのだから
やってる側としては、そっとしておいてほしいようだ。
パチンコ業界はもともと
中卒、高卒、Fランク大学の主な就職先としての受け皿となっており
とにかく質が悪い。
離職率も高い。まともな学生が集まらない。
そんな状態であるからして
どうにかして、立派な企業、素敵な労働環境だということを
アピールしなければならない。
できるだけ優秀な人材を集めたいという
集める側の視点で見ると相当大変なことだろう。
だが、学生側の視点で見ると
今後、ぱちんこ不況はますます深まってくるだろうし
回復の見込みも完全にない。
そうなると立派な大学をでて、選ぶような業界ではないことは
就職する前にきっちりと業界研究、企業研究すればわかることだ。
新卒就職→即退社→転職→退社→・・・
このような負のスパイラルに陥り
フリーター、ニート状態になってしまうケースが多発してしまう。
4月から、パチンコ業界に入ろうとしている
奇特な学生は、道を踏み外すことのないよう
もう一度よく考えて見てほしい。