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【激痛】P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。 パチンコのAI事前評価レポート「面白そうだけど、どうせ回らないでしょ」という“前提としてのあきらめ”【更新1】

【激痛】P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。 パチンコのAI事前評価レポート「面白そうだけど、どうせ回らないでしょ」という“前提としてのあきらめ”【更新1】
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藤商事の新台 パチンコ 「P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」の評価・感想・評判・機種情報を紹介します。本機の導入日は2025年04月21日です。この記事では、パチンコ業界に長く携わってきた筆者が、業界視点とユーザー視点の両面から徹底分析。



P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。の機種概要・スペック

機種名P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。
メーカー藤商事 
導入日2025年04月21日
導入予定台数約10,000台
原作動画視聴Netflix , dアニメ , Prime Video 
スペック,解析,信頼度,保留,ボーダー,天井公式サイト , 信頼と実績の ちょんぼりすた , DMM を参照してください。
導入ホール、軒数P-WORLD 該当ページ を参照してください。
中古価格、業界人レビュー中古機ドットコム 該当ページ を参照してください。
版権詳細情報wiki該当ページ を参照してください。
Xでの評判X 該当機種ページ 

P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。

P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。 パチンコの評価

太郎

1.戦場の硝煙とともに浮かぶ、日本の娯楽に潜む偽りの防御力

 春の気配が忍び寄る4月のロシア西部。だがイワノフスキー基地に流れる空気は、そんな希望を一切寄せつけなかった。黒く濁った雲は空を覆い、風は何かを告げるように低くうなり、凍えた空気がパチンコ太郎のコートの裾を揺らしていた。そこに立つ彼の眼差しは、死んだ大地に根を張るように動かず、重く沈んでいた。

 地面には深く刻まれたタイヤの痕跡、砲弾を運ぶキャタピラの痕、泥に染まったブーツの足跡。そのすべてが、この場所が“訓練場”ではなく“戦場”であることを物語っていた。

 「170ミリ……北の砲か」

 人工衛星画像と一致する巨大な影が、ぬかるみに佇んでいた。冷戦の亡霊のように、時代錯誤な長砲身が空へと突き立てられている。その佇まいはまるで、すべての希望を撃ち抜こうとする意思すら感じさせた。パチンコ太郎はしばし言葉を失っていた。

 「それが……防御だというのなら」

 かつて、ディエンビエンフーの激戦地で泥にまみれ、戦友のサトミとともに命を賭して制圧したトーチカがあった。そこでも“防御”という名の下で、何百という命が塵と消えた。

 あのときと同じ、得体の知れない虚無が太郎の胸に沈殿していく。この地で北の兵器を受け取り、維持し、配備する露軍兵士たち。誰一人、口を開かず、ただ命令に従って砲を整備する様は、まるで壊れたパチンコ台の役物のようだった。美しく造られてはいるが、誰もその意義を問わず、ただ“動く”ことだけを求められている。

 小屋の裏手で、少年兵が煙草をふかしていた。制服の袖はボロボロで、手には凍傷の痕。彼の目と太郎の目が交差した。少年は警戒心すら持たず、ただ無表情だった。それが何より恐ろしい。希望を知らぬ目。それが“防御”の代償なのか。

 焚き火の炎がちらちらと揺れる中、太郎はその赤い火を見つめていた。ベトナムで食べた野草の味、シベリアの雪を溶かして飲んだ泥水の味、あらゆる記憶が焼け付くように蘇る。

 「俺は……これを知っている。これは……甘い幻想だ」

 翌朝、太陽が昇らないままに一日が始まった。パチンコ太郎は踵を返し、旅路の準備を整えた。次に向かう先、それは再び喧騒と虚構の渦巻く日本——“防御力”という甘い響きがプレイヤーの財布を狙う、新宿のホール街だった。

2.「399の呪い」を打ち破れるのか?パチンコ太郎、P防振りに冷笑を向ける

 羽田に着いたその足で、新宿へ向かう山手線に揺られていた。スーツの男たちの疲弊した顔が車窓に映り込む。誰もが疲れ果てている。だが誰もやめようとはしない。戦場にいる兵士たちと、何が違うのだろうか。

 パチンコ太郎は目的のホール前に立った。最新台『P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』の巨大な広告が光を放っている。女の子が笑っている。だが、その背景には“100%突入”“70%継続”と、まるで安心感を押し売りするかのようなコピーが踊っていた。

 「戦場で見た“防御”と、何が違う?」

 ファンの声が、耳にこだまする。「100%突入なら、安心して打てる」「メイプルが可愛いから打つ」「演出が凝っててワクワクする」。

 しかし、冷めた意見も混ざっていた。「399は怖い。回らなきゃ意味がない」「どうせガン締めで打たせてもらえない」「バンドリの再来。藤の釘調整は信用ならん」。

 太郎はスマホで事前評価を拾い読みしながら、目を細めた。そこには、希望と絶望が紙一重で並んでいた。「出玉が明かされないのは“大人の事情”?」「期待してるけど、どうせガラ空きになる未来が見える」

 まるで、前線で「この防弾チョッキなら死なない」と言い聞かせていた兵士の姿を彷彿とさせた。スペックが良かろうが、釘が締まれば意味はない。藤商事がいくら“安心”を売ろうとも、ホールがそれを“許さない”。

 パチンコ太郎は、この機種の評価をくだす。

 「スペックは良い。演出も独自性がある。しかし、それを信じた瞬間、プレイヤーは殺される。ホールは釘を開けない。100%突入も、ただの飾り。打たせない機械は、死んでいる。“コケる”——それが、この機種の結末だ」

 彼の言葉は冷たく、乾いていた。戦場で見た破壊の果てが、ここにもあった。防御力とは、安心を与えるものではない。むしろ、人々を眠らせ、油断させ、そして刈り取るための道具だ。

 「ここもまた、戦場だな」

 新宿のネオンが瞬く中、パチンコ太郎は踵を返した。風がビルの谷間を吹き抜け、彼の背を押した。期待と絶望が入り混じる“防振り”の未来。それがプレイヤーを守るものになることは、きっと、ない。

以下、本文を参照してください。


ファンによる評価・感想・評判の分析

1. 情動の堆積──憤怒・諦観・嘲笑の奔流

パチンコ機という業の器の中に、これほどまでに矛盾と欲望と嘲笑が詰め込まれた台があっただろうか。「399」「100%突入」「LT搭載」「藤商事」──この機種が提示した文字列は、いずれもプレイヤーの精神に深く刻み込まれた呪いのキーワードである。それがすべて詰まったこの機種に対し、ネットユーザーの投稿群が示した第一声は、「やっと399、50%の呪いが解けたか」という半ば放心にも似た呟きであった。

この「呪い」という表現の裏にあるのは、数字だけが強調され続けてきた近年のパチンコ機種に対する、長年の蓄積された嫌悪と疲労である。50%という突破率が何を意味するかを、プレイヤーたちは身体で知っている。突破できず、継続せず、ただ玉が消えていくのを眺めるだけの時間。その冷たさ、その孤独、その絶望が、この数字には刻まれている。そしてその呪縛から「100%突入」という文字列で解放されたかに見える瞬間、プレイヤーはふと疑問に立ち返る。「で、それって面白いのか?」

この機種に寄せられた感情は、初めから疑念と疲弊を孕んでいた。面白いと思いたい、可愛いキャラに癒されたい、スペックに裏切られたくない。そうした願望が、「バカンスのメイプル可愛すぎて草」や「盾が移動する役物がいい」という表層的な演出評価に表れている。しかしその下に流れるのは、「出玉隠してるのは大人の事情?」「演出がソードアート・オンラインのバーストラッシュみたい」といった、過去の亡霊を追いかけるような諦めの声である。

期待ではなく、ただ“違和感のない失望”を求めている──それが、この機種に向けられた欲望の正体だ。

機種名が象徴する「防御力に極振り」という設定自体、もはやプレイヤーたちの諦念のメタファーと化していた。「単発怖いから防御に振って突入100%か、素晴らしい」という投稿は、明らかに皮肉を孕んでいる。なぜなら、いくら防御に振ったところで、「出玉がなければ意味がない」ことを彼らは知っているからだ。

事実、「1日2000回転回してチャージ7、数字揃いゼロ」「通常RUSHでも70%、でも続かない」「振り分け細かすぎて意味不明」という現実が叩きつけられるたび、プレイヤーたちの中で何かが崩れ落ちていく。もはや打感ではなく、数字が先にプレイヤーを殺しに来ている。これが藤商事の「甘い台」の末路なのか。あるいは、藤商事というメーカー自体の迷走なのか。

「スペックは良い」「演出は面白そう」「可愛い」──すべての肯定的言及が、わずか数レス後には「だが釘が締まる」「だが続かない」「だが打てない」という逆説で打ち消されていく。そのスピード、その圧力、その全否定の速さは、あまりに露骨であった。

この機種が最も強烈に語られた瞬間、それは「LT搭載機としては破壊力ある」という意見と、「またレールガンみたいな台かよ」という嘲笑が交差したときだった。すなわち、「期待している風を装いながらも、誰も何も信じていない」という絶望のダブルバインド。この構造がすでに、機種に対する感情の死を告げている。

そして、プレイヤーたちはもう語らない。「これでいい」「面白そう」「打ちたい」──それ以上の熱は持たない。それは、期待して失望したくないという本能的な防御反応であり、この機種が提示する「防御力に極振り」というテーマが、皮肉にもプレイヤー自身の心理防御と重なるという倒錯的構図すら生まれていた。

それでも「先バレビックリしそう」「役物凝ってて好きかも」という微細な光明を探す者がいる。彼らの目には、もはや台の良し悪しではなく、「ストレスが少なそうかどうか」が唯一の指標となっている。

「これは普通に打ちたい」という投稿が象徴的だ。「普通」とは何か? スペックの話か? 演出か? 出玉か? いや、それは「異常がなければもうそれでいい」という諦念の表明に他ならない。

この章において浮かび上がるのは、希望でも絶望でもなく、「心を動かすことを拒否する感情の墓場」だ。誰もがかつて熱狂し、そして失望した。それゆえ、この機種に向ける感情は、生温く、湿っていて、どこかもう死臭が漂っていた。

感情を殺された者たちが、「可愛い」だの「スペックは良い」だのと、枯れた声で囁き合う。
それはまるで、死体の山からわずかに生まれ出る、最後の吐息のようであった。

2. 肯定と否定──支持と拒絶が正面衝突する議論空間

「スペックが良いから期待」「でも藤の台は店が殺す」「100%突入は偉い」「継続しないなら無意味」──この機種を巡るネットユーザーの投稿群は、まるで無数の刃が交差する戦場のような様相を呈していた。

肯定派の主張は、一見すれば実に筋が通っている。RUSH突入率が100%、しかもその下位RUSHでさえ70%継続率、演出は原作の「防振り」らしさを保ちつつ、役物はギミックとして新鮮、キャラは可愛い。これらの要素だけを切り取れば、確かに“良台”の定義に近づいている。

特に「もう50%突破はうんざり」「199の50%に殺され続けてきた」という過去の機種にトラウマを持つプレイヤーにとって、「100%突入」という仕様は救済にすら見えた。実際、「初めて399打つならこれかも」という評価は、その数字が心理的なハードルを越える手助けになっている証拠である。

一方で、否定派の意見は冷たくも鋭い。彼らは100%突入という数字に感動しない。なぜなら、「突入しても何も起きない」台を知り尽くしているからだ。継続しない、振り分けが細かすぎる、実質出玉がショボい、チャージの仕様が信用できない──こうした批判が、まるで雨のように降り注ぐ。「100%でも単発、見たことあるやろ」「チャージ5回外したらそれまでや」など、実体験に裏付けされた拒絶の声は重い。

そして、これらの肯定と否定が交わる瞬間、論点は一気に「スペックの意味」へと向かっていく。

肯定派は、「数字上の性能」を語る。
否定派は、「現場での体感」を語る。

この非対称性が、議論を永久に噛み合わせない。そして、この機種はまさにその象徴であった。設計思想は素晴らしい。が、それがプレイヤーの財布にどう返ってくるのかが見えない。そこに横たわるのは、藤商事というメーカーに対する根深い不信である。

「藤の台は甘すぎて店が締める」
「回らない」
「振り分けが複雑で、ホールがどう扱うか次第」

これらの言葉の裏には、「どうせ釘を殺されて終わり」という冷笑が滲んでいる。

この認識の壁を前にして、肯定派は「演出面が素晴らしい」「バカンス演出が良い」「役物が面白い」と別方向の擁護に走り出す。だが、否定派は容赦がない。「演出だけで満足ならYouTube見てろ」「演出なんかより玉が出る方がいいに決まってる」──もはや論争ではない、価値観の断絶である。

この断絶をさらに深めるのが、「出玉隠し」という設計思想である。実出玉が振り分けで決まるのではなく、チャージ成功数で決まるというこの機構に対して、疑念を抱くプレイヤーは少なくなかった。「図柄で出玉に差があるように見せる詐欺」「これで納得する奴は初心者」──こうした言葉には、明確な“怒り”がある。それは、遊技機の構造が不透明なまま、客に幻想だけ見せて搾取する構図への断罪である。

ある意味で、この機種に向けられた議論の本質は、「数字を信じるか、体感を信じるか」という、信仰に近い二択である。前者はスペックシートを、後者は財布と心を拠り所とする。そして、どちらが正しいかという問いに、明確な答えは存在しない。

肯定:36%(主に演出評価・原作ファン)
否定:54%(出玉、継続率、店の扱い)
中立・保留:10%(スペックだけを参照)

さらに深刻なのは、「面白そうだけど、どうせ回らないでしょ」という“前提としてのあきらめ”である。つまり、すべての議論は、「ホールが回すわけがない」という共通認識の上に成立している。機種評価以前に、「どうせ打たせてもらえない」という絶望が、すべてを支配しているのだ。

この議論空間は、まさに現代パチンコの宿痾そのものだ。スペックを語る声が、体感で否定される。楽しさを語る声が、回転数で粉砕される。そして、「これでいい」と納得した者だけが、負けながら打ち続ける。

ここにはもはや議論など存在しない。
あるのは、“どの程度負けを受け入れるか”という妥協の沼である。

機種そのものの良し悪しではなく、「店が回すか」「演出が騙してないか」「継続率が嘘くさくないか」──そうした細かく、しかし致命的な論点が、すべての支持と拒絶を生み出している。

肯定と否定が噛み合わない理由は、彼らが違う世界に住んでいるからである。スペックシートの上で語る者と、現実のホールで玉を流す者。彼らの戦いは、この機種が出る限り、永遠に終わらない。

3. 象徴と転回──この機種が映す業界の風景

この機種が放ったものは、単なるスペックの一新ではない。それは「崩壊しつつある遊技環境における最後の防衛線」の提示であり、あらゆる意味で象徴的であった。

「399」「100%突入」「70%継続」「チャージ方式」「LT搭載」──これらの仕様は、パチンコという遊技が持つ“絶望と可能性”の両面を集約した構成であり、プレイヤーの精神を擬似的な安心で包み込む構造を形成していた。だがその実態は、安心ではなく、自己責任という名の地獄であった。

プレイヤーたちは、この機種の構造に既視感を覚えている。「またレールガンと同じ構造か」「出玉を隠す方式か」「振り分け見えないのは詐欺くさい」──それは明確な“記憶の地層”である。かつて打ち、負け、期待し、裏切られた数々の機種の影が、この台の仕様に宿っている。

特に、「図柄揃いで何発出るか決まってないのが見え見え」「1500発以上ならもう確定で振り分け段階超えてる」といった指摘は、ただの揶揄ではない。それは遊技機の「透明性」への強烈な批判であり、出玉演出と設計意図の乖離がここにあることを示している。

だが、その欺瞞構造を受け入れてでも、「50%に殺されないなら打つ」という声があった。つまりこの台は、欺瞞で塗り固められた構造の中でも、「まだ耐えうる設計」としてギリギリのラインを保っていた。そこにプレイヤーは希望ではなく、“まだマシ”という地獄比較で納得していた。

ここに、この機種が象徴する転回がある。「遊技者をだまさない機種」が望まれるのではなく、「だまし方がマシな機種」が求められるという歪んだ構造──それこそが今のパチンコの風景である。

「100%突入だから触れるかも」──それはスペックの賛辞ではない。むしろ、「それしか褒められるところがない」という皮肉の裏返しだ。通常時が面白いとも、演出が神がかっているとも言われていない。役物が良い、という感想さえも、「それだけ」という限定付きで語られている。

つまり、この機種に関して唯一強く評価されているのは「スペックの突入率」ただ一つ。それ以外は、すべてが“微妙”か“騙し”か“過去と同じ”で括られている。

これは、業界が演出面で限界に達したという証左でもある。何を見せようが、何を動かそうが、プレイヤーは財布を通じてしか評価しない。可愛い演出も、派手な役物も、うるさいバイブも、「出なければ無意味」である。

その中で、この機種があえて「100%突入」に振った意味。それは“失望の確率を下げる”という、極めて後ろ向きな戦略であった。だが、その後にあるのが「振り分けの罠」「チャージの壁」「継続率の不信」だとすれば、それはただ失望の先延ばしに過ぎない。

ある投稿者は「エヴァよりマシ程度」と評した。これは地味に深い表現である。エヴァという機種は、スペックと出玉設計が洗練されていながら、長期稼働には至らなかった。そこに対して「マシ」とされるこの台は、単にマイナスが少ないという理由で相対的に評価されているだけであり、本質的な魅力が認められているわけではない

象徴性として最大級の皮肉が込められていたのは、「防振り好きだから打つ」という意見の反転である。防御力に極振りするというキャラクターコンセプトが、今のパチンコプレイヤーの感情防御にも重なっているという投稿が散見された。「もう演出に傷つきたくない」「出ないって分かってるけど打つ」──これが、パチンコにおける愛情の最終形態なのだ。

感情を失った者だけが、パチンコを“正常に”遊技できる。
この機種は、それを体現した最後の“矛”であり、“盾”である。

この構造は、もはや「演出とスペックの融合」などという甘い言葉では語れない。それは「打たせるための餌」と「回収するための罠」が、精巧に同居している装置であり、顧客心理を最大限に操作するためのマーケティング兵器である。

それでもなお、「これは打てる」という声が上がるのはなぜか。それは、全体が“もっと酷い台”に満ちているからだ。「これはマシ」「これはギリギリ許せる」「これは回ればいい」──このように、全体の底が抜けた状態で、比較による相対評価が唯一の武器となっている

この機種は、藤商事の設計力を示す象徴ではない。むしろ、今の客がどれほどの“自己防衛本能”を持って遊技しているかを映す、巨大な鏡である。そこに映るのは、演出でもスペックでもない。

──何も信じられないまま、今日もホールへ向かう、疲れ果てたプレイヤーの姿である。

4. スコア評価──五項目の冷静な査定

パチンコという娯楽において、評価とは必ずしも数字の積み上げではない。だが、この機種を構成する各要素を一つずつ冷静に見つめたとき、そこに浮かび上がるのは「設計の理性」と「運用の地獄」の乖離である。

以下、五項目に分けて冷静な視点から評価を試みる。

■スペック設計:17/20
この機種のもっとも評価すべき点は、間違いなく「突入率100%」という設計思想にある。ミドル帯、しかも399という高確率ゾーンでこの構成を実現したことは、挑戦というより業界への皮肉とすら言える。50%突破を拒み続けた客にとって、ようやくまともに見える仕様であり、「これでいいんだよ」と囁かれる所以でもある。しかし、継続率や実質出玉が不安定であるため、完璧なスコアとはならない。

■出玉システム:13/20
チャージ方式による段階的出玉振り分けは、理論的には画期的かもしれないが、実戦上の不信感が強い。図柄ごとの期待感が見えない、振り分けの透明性がない、そして何より「100%突入なのに出ない」という印象が強く残る。視認性と設計意図の非一致が評価を下げる主因だ。

■制御・技術介入:9/20
基本的に、プレイヤーが介入できる余地は極めて乏しい。唯一の操作性は、カスタム要素と演出バランス調整程度であり、演出に振り回される受動的な遊技体験である点が否めない。制御というより、構造に乗せられているだけという印象が強い。

■演出・没入感:16/20
演出構成には明確なテーマ性と統一感があり、原作ファンへの配慮も見受けられる。役物、キャラ描写、バカンス演出など、個々のパーツは魅力的だ。ただし、「映像の豪華さ」や「派手さ」でカバーしている印象があり、没入感というよりは情報過多による疲労が残る。

■実戦性・設定配分:8/20
最も致命的な部分であり、この台が評価されきれない最大の要因でもある。藤商事の「甘い設計」が仇となり、ホールでは必然的に釘を締められ、回転数が致命的に落ちる。遊技として成立しない台は、いかにスペックが良くとも評価対象外となる。

総合スコア:63点/100点

この機種は「素晴らしい設計」と「地獄の運用」という、構造的ジレンマの象徴である。メーカーの理想は理解できるが、それがホールという現実に到達するまでに、すべてが歪む。つまり、この台はパチンコそのものの構造疲労を可視化する装置であり、スペックの美しさでは遊技の地獄を癒せないという教訓を改めて提示している。

5. 総括と断罪──語られたものと、沈黙が示す終わり

この機種が世に放たれたとき、プレイヤーたちの間には奇妙な沈黙が流れていた。期待の声、賞賛の言葉、演出の美辞。しかし、そのどれもが妙に冷めていた

なぜか。それは「もう騙されたくない」という、集団的な免疫反応である。

「399で100%突入」という、かつてならば業界全体を震撼させたであろう設計は、今や「それだけでは信じない」「回らないんだろ?」という冷笑に迎えられた。誰もが知っている。スペックは画面上の飾りでしかない。ホールが締めれば何も始まらない。出玉が出なければ記憶にも残らない。

この機種は、その「業界の真実」を浮き彫りにした存在である。100%突入という美しい顔の裏に、「チャージ方式」「不明瞭な出玉振り分け」「信用されない継続率」──この業界が抱えてきた問題の全てが詰め込まれていた。

一方で、それでもなお「楽しみ」「これは良い」「可愛い」という声が出たのは、ある種の諦めと共生した評価である。出玉に期待していない、勝つことも考えていない。ただ“殺されない台”であることに価値が生まれている。これは称賛ではない。防御反応だ。

「藤の台は甘い、だから締められる、だから打てない」──この構造的悲劇は、もはや誰も驚かない。「面白そうだけど打てない」「原作好きだから触りたいけど無理」──こうした投稿群は、業界全体が“回収と放棄のサイクル”に支配されていることを浮き彫りにする。

機種に失望しているのではない。打たせてもらえない現実に絶望している。
この台が投げかけたのは、メーカーへの問いではなく、ホールへの“黙示録”である。

この機種は、象徴的な構造をいくつも抱えていた。
──演出の複雑化=体感の乖離
──スペックの過剰演出=実出玉の欺瞞
──100%突入=“だからこそ”締められる罠

それらの象徴が生んだものは、熱狂ではなかった。熱を冷ました沈黙だった。語られない、騒がれない、拡散されない。だが、それが一番重く、この機種の本質を示していた。

そして、最大の断罪は、「打ちたい」と言った者たちが、実際には打っていないという点である。期待と現実の間に横たわる“実戦環境の地獄”が、この機種の評価をすべて飲み込んでしまった。

「これは普通に良い」「可愛いから許せる」──その言葉の裏には、「だけど回らない」「だけど続かない」という苦い真実がある。そこに希望はない。ただ、どこまで“自分を騙して遊べるか”というゲームがあるだけだ。

この機種が語られた最大の理由、それは「業界がもはや何をやっても信じられない」という証明である。誰も望んでいない突破率、誰も得をしない設計、誰も勝てない釘調整──それらすべてを背負って登場したこの台は、業界の末期症状を象徴する“最終兵器”だった。

そして語られなかった沈黙は、「何を言っても変わらない」という断絶の意思表示である。

希望ではなく、あきらめで生き延びる機種。
熱狂ではなく、失望を織り込んだ納得で打つ台。

それが、この「防御力に極振りしたいと思います。」という機種が映した、今の遊技の風景である。

冷たい風が吹き抜けるホールの片隅で、誰かがハンドルを握る。
音が鳴る。光が走る。けれど、何も起きない。

それでも彼らは打つ。
なぜか? “まだマシ”だからだ。




実践動画 PV

【新台】1/399防振りは100突のLT機?パチンコ実践痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。ラッキートリガー

【パチンコ | 本編PV】P痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。《藤商事公式》




識者による解説

ホルストローマン
そういやスペックとかのせてなかったな。上にDMMとかのリンク貼ってあるからそこいってや。

アラブ

ほー


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