評価・感想
この記事の要点解説
1.思い出補正の罠と過去への逃避
8月下旬の猛暑が続く中、日本列島を脅かす巨大な台風が接近していた。パチンコ太郎は、その災厄から国民を守る使命を帯び、決然と行動に移していた。国難を前にして、彼は迷うことなくスロット花子にある重要な任務を託した。それは、パチンコファンたちの意見を集約し、その声を反映させることであった。
スロット花子はその依頼を受け、心の中でため息をついた。「しょうがないわね…」と、彼女は一言つぶやいたが、目には一抹の喜びが浮かんでいた。これまで太郎の影に隠れていたが、久しぶりの出番に心を踊らせていたのだ。
ホールに足を踏み入れると、過去を懐かしむプレイヤーたちの声が彼女の耳に届いた。「昔のパチンコの方が良かった」と口々に語る彼ら。彼女はその意見を聞き、表面には冷静を保ちながらも、心の中では薄笑いを浮かべていた。彼らの記憶が美化されていることを、花子はよく理解していたからだ。
「安定して勝てたから良かった、そう思いたいだけよね」と、花子は心の中で彼らに語りかけた。だが、それが単なる幻想であることを彼女は知っていた。現実は常に厳しく、勝利の記憶だけが残り、敗北の苦い現実は忘れ去られているのだ。
2.無情の時代と過去の美化
スロット花子は、ホールの片隅で一人、懐かしい羽根物の台を見つめる老人に目を留めた。彼の表情には、失われた時代への憧憬と、もう一度勝利を手にしたいという強い願望が浮かんでいた。しかし、花子には分かっていた。過去の栄光は二度と戻らないことを。
「今の時代に勝てるのは、現実を直視する者だけよ」と花子は自らに言い聞かせるように呟いた。彼女の言葉には冷たく厳しい現実が込められていたが、その現実を受け入れる者は少ない。ホールの中で聞こえてくるのは、過去を懐かしむ声ばかりだ。
ホールを後にした花子は、錆びついた看板が風に揺れる寂れたパチンコ屋の前で立ち止まった。「ここも、かつては賑わっていたのね…」彼女はそう呟き、ほんの一瞬、過去の思い出に浸った。しかし、すぐに頭を振り、現実に引き戻された。
「思い出に浸るな、未来を見据えろ」自らに言い聞かせた花子は、再び歩き出した。過去にすがる者たちは、この現実を見据えることができない。それでは、未来を切り開くことなどできるはずがない。
以下、本文を参照してください。
まとめ
【遊技】「昔のパチンコは良かった」は懐古厨の世迷い事? 今とは何が違うのか…
最近、パチンコをしたいという欲が湧かない。直近ではお盆に、キャリコネのコラムのために“お盆はどのぐらい釘が締まっているのか”を確認するために1000円分打っただけ。その前となると、やはりキャリコネのコラムのために1000円で何回転するかって調べるために打ったのが、もう1年か2年前。あのときはたしか2000円も使っちゃったんだよね。
4年ぐらい前だと、遊タイムと言ってパチンコに実質的な天井救済機能が導入されていた時期なので、その頃はそこそこ打った。でも遊タイム以前となると、また7年ぐらいパチンコから離れてるしなぁ。
とは言え、僕は18歳の時にパチンコをして、それから足しげくホールに通うようになった身なので、ギャンブルするようになったきっかけはパチスロではなくパチンコなんだよね。それから20年以上経過したけども、やっぱりこう、なんと言うかパチンコも時代毎に結構変遷があるもので。
人によっては今が一番ってこともあるだろうし、人によっては昔の方が良かったってこともあるだろう。(文:松本ミゾレ)
■昔のパチンコと一口に言っても色々ある
先日、5ちゃんねるに「昔のパチンコは良かったって言うけどどの頃だよ?」というスレッドが立っていた。スレ主は「CR北斗無双と初代シンフォギアの頃しか知らん」と書き込んでいる。
僕はどっちも打ってないんだけど、前者は2016年、後者は2017年登場の機種とのことだった。いわゆる一世代ぐらい前のパチンコから入った人というのは、それ以前の変遷を知らないので体感ではまだ「昔はよかった」とか「悪かった」とか言えないよね。
パチンコが登場したのは1925年頃。つまり戦前とされていて、それから今に至るまでにその在り様は大きく変わってきた。
昔は庶民の娯楽だったので安価で楽しめて、景品もお菓子とか食料品ぐらいしか交換ラインナップがなかった。戦後の復興を支えた日本人にとって、パチンコは素敵な暇潰しの手段だったことだろう。これが現金と交換できる金景品の登場以降、体裁は娯楽のまま、実質的にはギャンブルの仲間入りを果たすこととなった。
それから1965年には1万件を超えるホールが全国に林立。以降はフィーバー機と呼ばれるマシンが人気を博し、1980年にはデジパチ、翌年には羽根モノの始祖が誕生して機種バリエーションが多様化していく。
1992年にはCR機。つまりプリペイドカード対応のパチンコが初登場することに。これ以降爆裂性を秘めた機種が跋扈することとなる。
僕がパチンコに触れるようになったのは2003年から。この頃には大当たり後の時短機能が認可され、単発終了後でも一定回転数は出玉を消費せずに大当たりを待つことができるようになった。これをフルスペックと呼称していたと記憶する。
たしか当時は大当たり確率は1/360とかが単発後時短搭載機種の基本だったと思うんだけど、これは現在のパチンコと比べるとやや重い数字になる。今のパチンコと比べると1回ごとの大当たり出玉が多いが連チャン率は確変ループのみだと50%だから、出玉性能はマイルド。マジでちょうど良い塩梅だった。
そこからも現在に至るまで、パチンコは変化を続けているが、大まかに言えばある程度爆裂性を重視し、お上から怒られそうになるとそれらをみなし機と呼んで、自主的に撤去。その後しばらくはマイルドな出玉性のマシンをメーカーが開発し、数年ぐらいでまた爆裂性を重視した機種が登場。そしてまた撤去。これを繰り返しているように見受けられる。
なので一口に「昔は良かった」と言っても、どの時代の何の話をしているのかについて、これほど予測がつかない業界もないのだ。
■射幸性の高い機種があった時代を懐かしむパチンコファンは多い
ちょっとパチンコの歴史についての話が長くなってしまったが、前項で提示したスレッドの流れを見てみると、おおよそ爆裂性を秘めた機種があった時代を懐かしむ声が目立つ。少し引用してみたい。
「そらマックスタイプ(筆者注:大当たり確率が重めの1/400程度だが大当たり出玉も当時としては多く、連チャン性能も高かった機種群)全盛期の頃やろ」
「一発台(筆者注:大当たり入賞口に玉が入れば、規定の出玉数に達するまで玉が出続けるゲーム性の機種群。射幸性が高く、1985年に一度規制が入った)」
ポロッと入る瞬間がたまらんやったな
終了で2万円くらいやった
ああいうのが1番面白かったわ
僕もそれ。 当時はフィーバー時代の前でチューリップなどが開くなど、天を狙える機種があった。
出る台に当たれば終了まで行ける台も有った。懐かしいな。
ギャンブル依存症
「パブロフの犬化」 されてる自覚くらい持とうか?w
リーチで脳内汁ドバドバ! 哀れ・・・・
北斗、吉宗、銭形、番長、秘宝伝。
あまりにもハマりすぎて仕事中も早く終われ終われと考えて終わった途端にパチ屋に通った。
1日にATMに3回行く事もあった。
それが5号機になった途端につまらなすぎてピタッと辞めた。
今思えば完全にギャンブル依存症だった。そして4号機廃止に救われた。
あんなもん続ける奴らはアホや
往時の半分くらいか
1万発以上出るか全然出ないかの2択で、3回や4回くらい連チャンして「まあ、これくらい出たらいいか」みたいな事が無くなった。
何のための規制かもはや意味不明になってるw
あのまま出して欲しいのに
派手な演出いらないんだよね
モードを選択できるとかそういうのじゃないんだよ
後は羽根モノも良かったし今のは詰まらなくてだいぶ前にやめた
メーカーすら潰れてるし
どこの店もガラッガラ、借金抱えまくってるよね
それで出玉は2300は欲しいところ
で、そこそこ連荘はする台がいいな
フィーバークイーンのことだけどな
仕事終わりにスーツでパチやってたのが良かったみたい
三万枚四万枚が稀に出る事はあっても、基本出て五千枚くらいで
激しく同意
100玉500円玉を放り込みながら
手軽に遊べた
負けても長く遊べた
昔は当たらなくても球が増える台とかあったし
ジャグラーしか打たんようになったわ
普通にツモれたら10万ぐらい期待値あった
攻略した感があって
ワクワクしたもんだわ
この先も勝てるという期待感でね
いまだにパチやってるのは馬鹿だけ
自分達のお客さんを自ら手放して来たんやから
もう終焉間近って感じよな
まあ韓や北の半島人だからその程度しか頭ないのだろうけど
新台で一人だけ出なかったとき店員が球を出してくれた😢
思い出補正で勝った時の記憶だけが残っているんじゃないかと。
可能性があるとすればとんでもなく負ける客がいたからこそ極一部で勝てた。
客がたくさん入ればそれだけ勝てる台も多く作れる
花満開のせいでそれまでスペック悪くて見向きもしなかったCR機の導入が進んだ
CR機の導入が進むと球界王や黄門ちゃまのような爆裂機はCR機のみに許され
現金機は連チャンが認められないので廃れた
全ての元凶を生んだ西陣はもう無い
ヘソ1コ返しばっかだし
凸通アリの1/500時代まではいかんけど相当なモンだと思う
>>94
花満はマジで滅茶苦茶で、あれ名機って言う奴いるの嫌だわ
みんな無茶苦茶やってた時代じゃなくて
CRで(表向き)ここから決まり通りにやりましょって時に
2回ループ40%継続の時点でおかしい上に
他のCRは確変時1/50とかなのに花満だけ(1/8だっけ?)で即連するし
保留連までする
これだけインチキすりゃそりゃあ人気でるよねっていう
現近畿の春夏秋冬は良かったけど
花満開はなあ、現在のパチンコは殆ど花満開の悪いところを引き継いでいる
出玉が多すぎて小型のドル箱じゃ追い付かずバケツに入れてた店舗もあった
流石に当局の規制が入って以降は一発台が主流だった
あの当時は4000発とか打ち止めがあったが一発台は打ち止めまで一直線だった
あの頃の俺は勝つ事ばかり考えてたからなあ
養分が激減したから店は一人当たりより多くとらないと肥大した経費をペイ出来なくなり、それで更に客が離れていく
もう良釘の台なんて10年は見てない気がする
教習所の隣のパチンコ屋で時間潰してたな
羽根モノ機の時代だったから、喫茶店の昼飯代くらいにはなってた
千円くらい儲かったらやめてたから
今はさっぱりわからんが
それもゆっくりした出玉だから遊び要素が今よりはあった
勝てたかと言えば、そんなことはないけど
今コレを作ろうとしたら1/700位にはなるんだろうな
ハンドルと台にタバコの包み紙でアース取ったりしてね
餌付け的何かだったのかな?
モンスターハウスとかあのくらい単純なのでいいんだよな
そこだけは嫌だわ
2回しかしたことないけどさ
フィーバークイーンも
二連続でパンクしたことあるし
しやすい
羽根物以外でパンクって要らないよね
ギンギラパラダイスは良くパンクした(´・ω・`)
確率1/240ぐらいで
うちの辺は昔は交換率が4円が2.17円だったからな
1400玉3.6円の今とほとんど変わらんよ
現金機で気軽に暇潰しできたのは良かったけど
昔は台が安かったから回収しつつ還元できたけど今は代の代金回収できないからシブチンなんだろ
田山さんと一緒に打ってた人がいるのかよw
ブクロの平楽まで通ったことあるわ
あと馬場の何とかって店
ファインプレーとか玉ちゃんとかブンブン丸
500円が一万円とか夢があった
エキサイトジャック打ってたな
エキサイトジャックよかったよな
学生時代に新宿で派手に連チャンしてたらチンピラに絡まれたけど
90年代はじめ
あの荒い液晶とシンプルなリーチが😍だわ、今でも打ってるが海物語しかうたん
特にドン2のボーナスゲームの10枚役を14枚で取れたから相当甘かったな
皆は爆裂の北斗GOD吉宗番長コンチに行くからA400専の俺は札台席座り放題だったし
この頃から持ち球で台移動禁止とかうぜー事を言い始めたと記憶してる
ほんそれ
春一番とか出始めたころよな
デジパチはレクサス、ブラボーキングダム、ドリームx、麻雀物語
頑張って綱取とかだよな
モーニング拾ったら10時1分に掛かって10時30分には10万
トイレで首吊りとかよく聞いたし一度だけ遭遇したことある
だな
毎日じゃなかったけど
時々台に座ってる客に玉をアタッカーにいれてくれるサービスがあって
800発くらいは貰えたな
現金(500or100)を投入して遊戯する現金機があった
現金機には3回権利物と羽根物があった
遊び半分でも年間の収支は一番安定してたな
近年は出玉や確率の分岐が増え過ぎて一般人のピン稼働程度だとパチは収束が程遠すぎて
海ばかりとかでも無い限り年間の収支はほぼ運ゲーになる
大工の源さんは確変引くとプラス2回の計3箱
しかもプラス2回の当たりに確変があればまたそこからやり直し
確変終了しても時短100回でまた確変を引けば
みたいなエンドレスで50連くらい行けた
しかも1回当たりで2300発
これ。
昔は大当たり1回16R2300発、確変時短中に球がもりもり増える
今は大当たり1回10R1300発、確変時短で球がガリガリ削れる
初期CR機や4号機は箱や下皿がデカい(2000発、1500枚)
今はめちゃめちゃ小さくておもちゃ(1000発、600枚)
4号機吉宗や銭形のビッグ1回が今の台じゃ下皿に収まらんようになった
今じゃ腐れユーチューバーが関の山やろ
全台6とか普通にあったし、設定看破もしやすかった
4号機時代はリスキーすぎた
機械代が今より安かった
これでテラ銭が悪化しない訳ないよね
要するに勝ち辛くなったんだからつまんないだろ
出玉多過ぎ+即連過ぎて玉が発射できなくなってパンクの危機になるから
店員が来ない時は自分で箱交換するのが当たり前だったな
パチ経営者とうちの社員のお偉いが喋ってたけど「今日は利益400万円だった」って会話
田舎のショボいパチンコ屋でコレ
パチンコなんてやってたら首を吊るなと思った瞬間だった
遊ばせてくれると感じる台に調整してるからね。安定志向だよ
なのでパチ屋は海を主力にして力を入れる。
言葉はいろいろあるだろうけ、どメインの島的な
よく見て見な。大抵店の入り口から一番目立つところにあるから
そしてそのうち消える
良い戦果を得たら友達を呼んで焼き肉や寿司を奢った
金持っているリーマンOLなどはCR機でガンガン負ける
金を金と思わずガンガン投入する彼ら
欲望の向かう先は大工の源さんやギンギラパラダイス
閉店近くには一撃2万補填狙いの3回権利物
バブルの残り香があった95~97年頃
昔はパチンコが大人気だった
だからパチンコで負ける連中が大勢いて、パチンコ店はボロ儲け
で、ボロ儲けしてるから、勝てる台も沢山用意出来た
今はパチンコが全盛期の2割にまで落ち込んでる
だからパチンコで負ける連中も少なくなって、売り上げが下がる
パチンコ店が全盛期の2割しか儲けてないから、客にも還元されない
簡単な話だ
あとは一般電役打ちてえ
パチンコはマジで昔の時代に戻してくれ
客も4円全然座ってないだろあんなん廃棄物だわ
玉ちゃんファイトが今でも1番好き
マジカペ、デビルマン、スペースガール
ドキドキ感が今のそれとは別物なんよな
そこらへんもう全盛期じゃない
店員もドパンチだからなw
正月打ちに行ったらお年玉やるわって
手でvに入れて当ててくれてたし
ようこそようこそ○○店へとご指名ご来店、誠にありがとうございます。
館内マイクロホンの上からでございますが、只今ご来店のお客様お一人様お一人様に
深く厚くと厚く深くと御礼申し上げます。
(いらっしゃいませ、いらっしゃいませ × 2)
本日○○店、表看板裏看板にウソいつわりはございません。
出ます出します取らせますと三拍子も四拍子も取り揃えましてのお客様のお出迎えでございますれば
とぢらのお客様も奥へ中へと中へ奥へとお回りいただきまして、お手に合いましたハンドル、
またお好きな遊技台を一台お選びいただきまして、
本日のより良きラッキー御幸運をしっかりと、がっちりとお取下さいませ、おつかみ取り下さいませ。
(いらっしゃいませ、いらっしゃいませ × 2)
凄いなお前w
内心で笑い転げながら、パチ屋でその手の名調子を聞いてたな
マイクパフォーマンスはやってたぞw
めっちゃ気持ちいいぞw
吉宗が稼働している当時はマイクパフォーマンスをやっている店は殆ど無くなっていたけど極一部に残っていた。
あろうことか吉宗で天井バケくらった客に対してレギュラーボーナスおめでとうございますと言ったものだから客がブチ切れてた。
演出とか昔のつまらんのにはもう戻れない
ハンドル握るようになってからはパチンコじゃない
って親父がよく言ってた
回らない寿司行けるし、東京湾ぐらいならクルーズできるし、そこそこの温泉旅館で一泊できるし
スマホPCはきついかもだけど便利な家電まあまあ買えるじゃろ
コスパ、タイパ重視する若者がパチンコスロットやるのが良くわからん
昔はイベ日に1kで30回転回る台とかあった
初代花の慶次とかそこら辺があった頃くらいまでかな
そっからどんどんおかしくなっていって
今は店によるけど1kで10~15回転
一気に出るから出てるときはイケイケで凄いが
通常時に玉を飲み込む速度も凄いので
簡単に言えば遊べなくなった
そんで1円パチとか0.5パチとか出て来たが
結局4円と同じ釘調整なので全然回らないから打っててイライラするっていう
君たちはビッグシューターとかレッドライオンだよね。
ビッグシューターは衝撃的だったわ
貯留することで継続率を高めるという斬新な発想
これを考えた人は天才だと思ったわ
パチンコのために早起きして開店時間に並んでる自分が信じられなかったもの
昔は台の取り合いで、台が空くまで3時間も待ってる客が一杯居たもんだ
麻雀物語、エキサイトジャック、花満開、初期の源さんあたり
客単価も低いしレジャーとしても半端
でも雀荘とかは昔のまんまで通用してるとこもあるっぽい
仕事で定期的に行く事務所がある雑居ビルの雀荘は高齢の客中心に流行ってる感じ
ショバ代だけの商売だからむしろ大丈夫なんだろうな
スロの期待値なら今の拾える3〜5倍くらいかね
今専業やってるやつはまじ乞食にしかみえん
普通の店なら出玉率は105%くらい出してたから
短時間では打たない。
持ち球のある限り閉店まで打つの止めない
この2つ守ってればいい勝負ができた
等価交換で出玉率90%以下とかになって、打ったら負け というゲームになった
座らず後ろから観察して、そういう台を狙ってたな。
空いてたから、リーチ目入ってるか確認のために回したりもしたけどお咎めなし。
設定公開が基本で毎日午後5時に公開される店に通ってたな
高設定の場所は大体パターン化してたし打てば分かるくらいハッキリしてた
ハクション大魔王の4号機狂った様に打ってた思い出
タバコの煙がモウモウとしてて
10分もいると、着てる物がヤニ臭くなる
軍艦マーチや景気づけの場内アナウンスが
やたら煩い
でも今考えるとそれだけ一部の人が凹んでたってことよね
今はみんな仲良く凹んでるだろうけどw
そのおかげでパチンコ辞められたわ
大東音響一斉の時は悲しかったなあ
なにこれって馴染みの役職に聞いたら「通達があって今日から。多分もう駄目。取り消しかも」とか言われた
とりあえずサービスタイムで札つけてタコ粘りで勝てる
サービスタイムが不発の時は無制限の2回権利とかやってた
普通に勝てるが、楽しくはなかった
副業兼業やってたが廃棄したwwwwww
今はほとんどの店のほとんどの台が空台だもん
そりゃ回顧厨にもなるわ
新台1台当たり20~30万で交換できて
客はそれを半年以上遊ぶから搾取率が低かった
5号機から上がり続けて1台当たり50万円以上かかるようになり
機種の売れる寿命が短くなった
そりゃあ玉なんぞ出なくなるわ
あれで一気に負けを取り戻せたし
ワクワク感が凄かった
交換率も2.5円とかの時代だし、稼働取れてる店は笑いが止まらなかっただろうな。
ゼロタイガーとかああいう時代
昔は小さい箱一杯で約2千円の換金、それを7箱くらいになると店員がチョロチョロしだして
8箱くらいで「打ち止め終了になります」とやめさせられた
給料がはいる全部持って競艇、競馬場へいってかえってこない
しばらくするとすっからかんになりなけなしの金でパチンコで次の給料まで細々と過ごす
フィーバー台登場以前のギャンブル中毒の典型例
パチンコは金がないやつのギャンブルだったんだよな
ギャンブルの中では唯一、頭を使わなくていいんだよ。
競馬にしても何にしてもデータを見たり、長い時間かけて予想して、株と同じように頭を使う
だからずっとやってると競馬なんてすぐに次のレースが始まって疲れてくる
パチンコはボケーっとして打ってればいい。だから余計に恐ろしい
地域によってはパチ屋行かないなら人に非ずみたいな
今は連チャンまでのハードルが高すぎて無理
マイルドだった海ですらハマり台ばっかで打てないわ
ホームの店がパチ2.25円、スロ7円だったが出るから面白かったな
免許代も単車も車も引越代も全てあの店で貯めた
そして10年後に4号機ATで全て回収されマイナスにまでなるw
後はしっかり潰しきって引導を渡さないとな。
これからの温暖化の時代に一番あり得ないビジネスです、パチンコは。
それで連中の日本破壊工作に金が使われるんだからとんでもないよ。
パチンコに金が流れなくなったおかげで
日本経済はどんどん明るい兆しが見え始めてますからね。
今のパチンコ業界は一部のころっと騙されてる
キチガイだけで金が回っている状況であり、
その流れが途切れたらその時が本当のお終い、
駅前からもいずれパチンコは消えるでしょう、ようやくね。
国にも地元にも何の経済効果ももたらさないパチンコだけは避けた方がいいね。
これから真っ先に日本人から切られるビジネスですから。
識者による解説
2.5円LN時代が一番よかった感じ。
投資金も抑えられて、収支は±2万円以内。2.5円LNのボーダーが24回転くらいの機種が多くて、30回/kを超えたらお宝台。28回が妥協ライン。ボーダー超えの機種が店にはゴロゴロしていた。ボーダーさえ超えていれば、ひたすら粘って打つだけで勝てた。
パチンコの換金率が2.5円→3円→3.3円→4円に上がっていく過程でボーダーを上回る機械を探すのは難しくなった。スロは7枚→5枚(等価)に一気に上がったところ多かったと思う。
P3.3円&S等価、低貸しはそれよりも換金率が悪く設定。この時代が長かったように思える。
しばらくして一物一価を警察から強要されて、P等価、S等価になってから完全に釘が締められ、打てたものではない状態になった。パチンコのMAX機のボーダーが等価無制限で16回くらい、実機は14-16回/k。ギリギリボーダー。もちろんボーダーを超えないと利益にならない。
この先どうあっても、パチンコとスロットが再度隆盛することはない。カジノが早くできないかね。