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「日本スゴイ」動画に「再生数稼ぎ」「褒めさせて恥ずかしい」 自国を好きで何が悪いとの反論も

「日本スゴイ」動画は褒められたい人向け? 称賛の仕組みに厳しい意見
外国人が日本の食事や文化を絶賛する番組・動画と、それを見て喜ぶ人々の心理が話題になった。「日本スゴイ」に歓喜する背景には、普段あまり褒められない人の承認欲求があるのではないかという問題提起である。10月8日に交わされた意見では、日本を褒めてもらうこと自体よりも、外国人に褒めさせる演出や、それを収益につなげる仕組みへの批判が目立った。
「褒めのプロ外国人に注意せよ」と皮肉る意見があり、出演者が本当に感動しているのか疑う人がいた。「再生数稼ぎだよ」と断じる人もいる。外国人が日本食を食べて驚く動画は見飽きた、わざとらしい称賛を素直に受け取れないという不満が重なった。
高級和牛を食べる外国人を見せられても、という不満
日本在住の外国人が日本を褒める動画について、以前は見ていたものの嫌になったという体験談があった。高級和牛を食べる様子を見せられ、日本は安くて安全で親切だと繰り返されても、今の自分の生活と結び付かないという不満である。外国人だけが日本の良さを満喫しているように感じる、という見方も出ていた。
別の人は、外国人による日本のアニメ鑑賞動画を見た経験を挙げた。『火垂るの墓』を見て感動する姿には共感したが、別作品の鑑賞動画まで見ているうちに不自然さを感じ、「再生回数稼ぐためなんだなってすぐ分かって冷めた」と振り返った。作品への敬意と視聴数を稼ぐための演出を区別したいという意見である。
高級店で食事をおごられた出演者についても、「奢られたら褒めるしかなくない?」という疑問があった。接待を受けた側の称賛を、そのまま本音と受け止めてよいのかという不信感が示されている。
「日本のどこが好き?」と聞き続ける番組が恥ずかしい
テレビの街頭取材や著名人への質問にも批判が向かった。「恥ずかしいからやめて」と訴える人は、外国人からどう見られるかを過剰に気にしている印象を嫌がっていた。海外の俳優に映画の内容を尋ねず、日本でおいしかった食べ物ばかり聞く取材を挙げる人もいる。
「日本のココが好き!」と言わせる企画が昔から繰り返されていることを問題視する意見もあった。日本の文化に誇りを持つことと、わざわざ外国人に褒めてもらって満足することは違う、という主張である。相手に面と向かって日本の印象を聞けば、礼儀として好意的に答えるのではないかと疑う人もいた。
日本に暮らす外国人は多様なのに、称賛を紹介する場面では白人ばかり目立つのではないかという意見もあった。出演者の選び方にも違和感を持つ人がいた。
日本の魅力を伝えるはずの企画が、かえって自信のなさを示しているようで居心地が悪いという不満が続いた。出演者が好意を示すこと自体を否定するより、同じ質問と称賛を繰り返す番組の作り方に批判が集まっていた。
「日本が好きで何が悪い」称賛を喜ぶ側から反論
一方、日本や日本文化を褒められて嬉しいのは当然だとする意見もあった。「所属してる共同体が褒められたら嬉しいでしょ。」という人は、国や文化への愛着を承認欲求だけで説明する見方に反発した。「日本人で良かったよ〜日本大好き」と率直に喜ぶ人もいる。
米国では自国への誇りを公然と示す場面があるのに、日本だけ自虐しなければならないのかという疑問も出た。自分の国を好きだと言っただけで政治的な立場を決め付けられるのはおかしい、という意見もある。日本を褒める動画を好むことと、外国を見下すことは別だと考える人もいた。
「日本にも世界各国にもすごい面の1個や2個あるしね」と、国を問わず良い点を褒めればよいという意見もあった。日本だけが特別に褒められたがっているという決め付けへの反論である。
米国のバーベキュー動画では、互いに褒め合っていた
他国の文化を褒めることの楽しさを具体的に語る人もいた。米国の人々が豪快なバーベキューを紹介し、日本の視聴者が喜ぶと、別の米国人まで「オレのBBQも見てくれよ」と動画を見せるようになったという体験談である。日本側も「見てるよ」と応じ、久しぶりに交流する様子を温かく受け止める意見があった。
このやり取りを挙げた人は、「日本人だけのことじゃないと思う」と述べた。自分の国の料理や習慣が他国の人に評価されれば嬉しいのは、どこの国でも同じだという考えである。外国人が日本を褒める企画への批判が多い中で、国を越えて文化を楽しむ交流まで否定したくないという意見が示されていた。
日本の現在ではなく「昭和の技術」を褒めているのでは
称賛の中身が古いという批判もあった。経済や先端技術では他国の発展が紹介される一方、日本が褒められるのは昔からある仕組みばかりだとする意見である。「昭和のタクシー自動ドアを褒められて誇りに思ってる日本人」という皮肉は、懐かしい技術への称賛と現在の国力を混同することへの不満だった。
日本の経済状況を悲観し、国が衰えているからこそ昔の優位を褒める番組が好まれるのではないかと考える人もいた。反対に、ノーベル賞の受賞を喜ぶことまで承認欲求と結び付けるべきではないという意見も出た。「ノーベル賞は個人が受賞する」として、受賞者の成果を国同士の優劣に利用することへ疑問を向ける人もいる。
議論の一部は近隣諸国との比較や攻撃的な言い争いにも及んだ。ただ、製品や研究の具体的な比較資料が示されたわけではなく、ここで交わされたのは主に称賛の受け止め方をめぐる意見だった。
最も目立ったのは、外国人の称賛を売り物にする演出への不信
今回の意見では、外国人に日本を褒めさせる番組や動画を、視聴数稼ぎや過剰な演出として批判するものが特に目立った。次いで、外国人に日本の好きな点ばかり尋ねる取材への恥ずかしさや、昔の技術への称賛に頼ることへの不満があった。一方、自国の文化を褒められて嬉しいのは自然だと擁護する人や、米国のバーベキューを通じた相互交流を楽しむ人もいた。