父親の葬儀で用意した花が期待と違った

英国で、父親の葬儀のために用意した花が期待していた仕上がりや段取りと違い、強い失望を感じたという相談を巡って議論が広がった。話題になったのは、花で作ったメンフクロウを模した飾り、枕をかたどった花、そして参列者が棺へ手向けるために用意する予定だった一本ずつの花である。

意見は、依頼した側が不満を感じるのは当然だとするものと、葬儀直後の深い悲しみが花への怒りとして表れているのではないかとするものに大きく分かれた。ただし後者も依頼者を責める内容は少なく、「今は判断を急がず、自分をいたわった方がいい」という方向が目立った。

メンフクロウは「十分よくできている」と見る人が多い

最も議論になったのが、花で作られたメンフクロウだった。依頼者が思い描いていた見本とは形が違うとして不満を抱いた一方、「思っていたほど悪くない」「花だけで作るものとしては十分頑張っている」という意見が相次いだ。

「本物らしいメンフクロウを花で再現すること自体がかなり難しい」という意見もあり、通常の花束や葬儀用の飾りとは違う特殊な注文だった点を考慮すべきだとされた。初めて作る形だった可能性や、葬儀に間に合わせる時間的な制約まで考えれば、完全に見本通りにならなくても不思議ではないという見方である。

一方で、「見本とは確かに形が違う」「自分でもあれなら不満を感じる」という意見もあった。出来栄えへの評価は一致していない。ただ、笑われるほどひどい仕上がりではなく、少なくともメンフクロウだと分かるという評価が優勢だった。

枕型の花は鮮度を気にする意見も

枕をかたどった花についても評価が分かれた。「色合いも含めてきれいに見える」という意見がある一方、白やクリーム色の一部が黄色くなり、少し古く見えるとする意見もあった。

特に、周囲に置かれたほかの新鮮な花と比べたことで、依頼者には余計に状態が悪く見えたのではないかという見方があった。葬儀という一度しかない場であり、しかも父親へ贈るものだったため、普段なら気にしない程度の違いまで強く意識してしまうことは理解できるという意見である。

反対に、写真から判断する限り重大な問題には見えないとする人もいた。花は時間とともに状態が変わるものであり、一定時間水から離れていれば見た目が変化する可能性もあるとして、花屋だけの責任と断定することには慎重だった。

一本ずつ手向ける花の段取りには批判が強かった

出来栄え以上に問題視されたのが、参列者が一本ずつ棺へ手向けるための花を巡る連絡だった。依頼者が予定していた形で花が渡らず、当初の段取りが変更されていたなら、事前に本人へ伝えるべきだったという意見が多かった。

「予定を変えたなら連絡するべきだった」「花そのものより、ここは説明不足だったと思う」という意見である。メンフクロウについて依頼者の期待が高すぎたと考える人でも、この連絡部分については花屋側の対応に問題があった可能性を認める例が目立った。

ただし、一本ずつ違う花を参列者へ渡すという方法自体が一般的な葬儀の依頼とは少し異なり、花屋や葬儀を取り仕切る側との間で認識違いが起きやすかったのではないかという意見もあった。「誰に何を渡すのかまで決めるなら、葬儀前に家族側でも確認した方が確実だった」という考えである。

「悲しみが花への怒りになっているのでは」という意見

最も多かったのは、花の問題だけを見るのではなく、父親を失った直後という状況を考えるべきだという意見だった。「悲しみを花屋へ向けているように見える」「今は一つのことへ気持ちが集中してしまっているのではないか」とする見方である。

自身も親を亡くした経験がある人からは、葬儀のある一部分に強くこだわり、普段なら感じないほど激しい怒りを覚えたという体験が語られた。後になって、それが喪失による怒りだったと気付いたという。別の人も、母親を突然亡くした際には「完璧に送り出したい」という思いが非常に強くなったと振り返っていた。

そのため「少なくとも一週間ほどは花のことから離れ、その後で改めて考えてはどうか」という意見もあった。時間を置いても対応が納得できなければ、その時点で花屋へ伝えればよく、葬儀直後に結論を出す必要はないという提案である。

「これが父親のためにできる最後のことではない」

依頼者の気持ちに寄り添う意見で繰り返されたのが、「葬儀は父親のためにできる最後のことではない」という考えだった。花が予定通りにならなかったことで、最後の機会を失ったように感じる必要はないというものである。

これから墓前へ花を持っていくこともでき、写真のそばへ花を飾ることもできる。父親が好きだった場所へ行く、思い出を家族で語る、父親に関係する活動へ寄付するといった別の形もあるという意見が出た。メンフクロウが特別な意味を持つなら、その保護活動への寄付や絵を飾ることを提案する人もいた。

「葬儀は喪失を受け止める一つの段階にすぎない」という意見も印象的だった。一日の式が理想通りにならなかったとしても、父親を大切に思っていた事実まで損なわれるわけではないという考えである。

花屋への不満より自分をいたわるべきという結論が優勢

全体では、一本ずつ手向ける花の連絡不足については花屋側へ厳しい意見があり、枕型の花の鮮度を疑問視する意見もあった。しかし、メンフクロウの出来栄えについては「特殊な注文としては十分」「想像していたほど悪くない」とする評価が多かった。

そして最も強かったのは、今すぐ誰かの責任を決めるより、父親を失ったばかりの依頼者自身をいたわるべきだという意見だった。親を亡くした経験を持つ人ほど、葬儀の細部へ怒りが集中することはあり得ると説明し、時間がたてば花より父親との記憶の方が大きく残ると語っていた。

花の仕上がりへの評価は分かれても、父親を大切に送り出したかった気持ちそのものを否定する意見はほとんどなかった。むしろ、その思いが強かったからこそ小さな違いまで耐え難く感じたのではないかという理解が、議論の中心になっていた。