原発とがん死亡率を結び付けた研究に再び議論

2026年2月、米国の原子力発電所への近さとがん死亡率の関係を調べた全国規模の研究が発表された。2000年から2018年までのデータを用い、原発に近い郡ほどがん死亡率が高いという関連を報告したもので、研究側も因果関係そのものを証明したとはしていない。その後、この研究手法を批判する分析が登場し、同様の計算を原発以外のさまざまな施設へ当てはめても正の関連が出るとして、手法そのものに問題があるのではないかと主張した。

これを巡る意見で特に多かったのは、元研究だけでなく批判側の検証方法も十分に公開されていないという不満だった。「元の方法がどう間違っているのか説明していないのでは」という疑問が出ており、批判記事の結論だけを信用することにも慎重な人が目立った。

「再現した」という側にも方法の説明を求める意見

批判側は、元研究の著者から提供されたコードなどを手掛かりに方法を再現し、原発だけでなく大学、量販店、ホットドッグ店など別の地点へ同様の考え方を適用したとしている。ところが、この過程について「試行錯誤で近い結果まで持っていっただけでは」という点を問題視する意見が多かった。

「方法の詳細はどこにある?」という意見では、元研究と完全に同じ計算を再現したのか、それとも似た結果が出る別の計算を作ったのかが分からないと指摘された。別の人も「『だいたい近い』では足りない」とし、再現研究として元の数値へ一致しないまま別の施設へ適用することに疑問を示した。

この分野の経験があるとする人からも「技術的な説明はあるのか」と問う意見が出た。批判側自身が、元の方法から負の関連が出る条件を把握できていないように見えるため、逆算して作ったモデルが過剰適合している可能性まで考えるべきだという指摘だった。

元研究の方法公開が不十分という批判も

一方、再現側が推測を重ねなければならなかったこと自体を、元研究側の問題だとする意見もあった。「元の著者が方法を十分に文書化していない」という批判である。第三者が同じデータと手順から同じ結果へ到達できなければ、研究結果を検証することが難しくなるという考えだ。

元研究は、郡の中心と原発との距離を使った近接指標を作り、年齢、性別、社会経済要因、喫煙、肥満、気温、湿度、医療へのアクセスなどを調整している。研究では相対リスクを推定しており、単純に「原発の近所に何人住んでいるか」を数えただけではない。このため「批判側が使った量販店の比較でも、同じ相対リスクを基準とした計算をしているのか」という疑問も出た。

「同じ方法を使ったと、どう確認すればいいのか」という意見では、批判側の説明が「推測で方法を作り、結果が似るまで調整した」ように読めることが問題視された。元研究への疑問と、批判側への疑問が同時に存在している形だった。

「相関は因果ではない」をどう扱うかで意見が割れる

議論の中心には、統計上の関連をどこまで意味のある情報として扱うべきかという問題もあった。「これは全部『相関は因果ではない』という話なのか」という意見に対し、それだけでは済まないとする人もいた。

元研究は原発への近さとがん死亡率の関連を報告しているが、論文自体も因果関係を確立できないと明記している。そのため「研究はそもそも『証明した』とは書いていない」という指摘が出た。批判側が「証明」という言葉を強く使うことで、元研究が実際に主張した範囲より大きな主張をしていたように扱っているのではないかという不満である。

一方で「相関は因果ではない」という言葉を使いすぎることにも警戒する意見があった。「それを突き詰めれば、何の原因も証明できなくなる」というもので、相関の強さ自体は有用な情報だと主張している。食物、日光、大気中の粒子など多くのものが健康と何らかの関連を持ち得る以上、重要なのは関連があるかないかだけでなく、その強さを比較することだという考えだった。

量販店やホットドッグまで関連するという皮肉

批判側が原発以外の地点へ同様の手法を適用した点については、皮肉交じりの意見も多かった。特に量販店との近さに大きな関連が出るという話から、「本当に量販店が大量の死亡と関係していると思うのか」という意見が出た。

別の人は、ホットドッグ店との関連を受けて「ホットドッグを喉に詰まらせた場合も数えるのか」と冗談を飛ばした。さらに水を題材に「がん患者の全員から見つかっているのに家庭へ供給されている」と皮肉る意見もあり、何かと疾病が同時に存在するだけで原因と扱う危険性を笑いに変えていた。

ただし、こうした比較が元研究を完全に否定する証拠になるかについては異論があった。「量販店との関連が出たからといって、同じ方法を本当に使った証明にはならない」という意見である。批判側の再現方法が公開されなければ、奇妙な結果そのものを検証できないという主張だった。

原発の安全性とは別に研究手法を評価すべきとの意見

原子力そのものへの評価も混じった。「原子力の問題は安全性よりコストだ」という意見がある一方、原発からの距離だけで実際の放射線被曝量を表せるのかという疑問もあった。距離と線量は同じではなく、風向き、放出量、運転状況などを考えなければ実際の曝露を評価できないという考えである。

反対に、距離だけでは説明できないからといって、統計的な関連を最初から無意味と扱うべきではないという意見もあった。「関連が見つかったなら、その理由を調べる価値はある」という立場で、統計モデルの欠陥、年齢構成など別の要因、未知の要因のいずれであっても、原因を調べること自体には意味があるとしていた。

また、元研究側と批判側の双方について利害関係を気にする意見も出た。批判側に原子力政策を扱う研究者が含まれることを指摘する人がいる一方、「それなら元研究側の経歴や研究資金も同じように見るべきだ」という意見があり、所属だけで研究内容の正誤を決めることには慎重だった。

科学報道で「関連」が「原因」に変わることへの不満

研究そのものとは別に、科学研究が一般向けに伝わる過程を問題視する意見も目立った。「論文、広報、科学記事、一般記事と進むうちに、関連が原因へ変わる」という指摘である。研究者が因果関係を断定していなくても、紹介される過程で「関連する」が「引き起こす」に変化し、最後には確定した事実のように受け取られるという不満だった。

「靴を履いたまま寝ると頭痛になる、という話まで作れてしまう」という例を挙げた人もいた。元の統計が示している範囲と、それを一般向けに説明するときの表現を区別しなければ、研究そのものとは別の誤解が生まれるという意見である。

多かったのは「双方の方法を公開して検証したい」という意見

全体で最も目立ったのは、元研究を無条件に信じる意見でも、批判側の結論だけで研究を否定する意見でもなかった。元研究については第三者が完全再現できるだけの情報が必要だという批判があり、批判側についても「同じ方法を再現した」という根拠を技術的に示してほしいという要求が多かった。

次に多かったのが、相関と因果を混同しないことと、相関そのものを無価値にしないことの両方を求める意見だった。量販店やホットドッグを使った皮肉も目立ったが、少数には原子力の安全性や研究者双方の利害関係を巡る意見もあった。