街路樹をなくした都市の姿に「息が詰まる」

韓国で10月3日、街路樹がある都市空間と、樹木を取り除いたように見える都市空間を比較する話題から、街路樹や都市の緑地がなぜ必要なのかを巡って意見が広がった。韓国でも都市林や街路樹は暑さや大気環境への対策として整備・管理の対象になっており、韓国山林庁は2026年にも都市林・街路樹を気候危機への対応策として位置付けている。

最も目立ったのは、木が消えた街並みに対する心理的な圧迫感だった。「見た瞬間に息が詰まる」という意見や、「木がないと本当に息苦しい」という感想が続き、単に景観が寂しいという程度ではなく、コンクリートと白や灰色の建物だけが並ぶ空間そのものを強く嫌う人が多かった。

緑がないだけで街の印象がまるで変わる

比較された景観については、「本当に雰囲気が変わる」という驚きが繰り返された。木がある側は普通の都市として受け止められるのに、緑を取り除いた側は「作りかけのCGみたい」「バックルームみたいだ」と形容されている。建物や道路が同じでも、街路樹の有無だけで完成した街と無機質な空間ほどの差を感じるという意見である。

実際の生活圏を思い出した人もいる。ある人は、その日に通った集合住宅について、なぜか違和感があった理由を「木が一本もなく、灰色と白だけだったからか」と振り返った。別の人は釜山のエコデルタシティや知識産業センター周辺を例に挙げ、木が少なく空室の建物が並ぶ場所では閉塞感を覚えると説明している。ウラジオストクで似た印象を受けたという体験もあった。

「田舎育ちで、田畑や山に囲まれた場所はむしろ苦手」という人まで、建物の多い都市を好みながら「団地の間には木の道があった方がいい」と書いている。自然の多い環境が好きか嫌いかとは別に、都市の中へ少量の緑を配置することには価値を感じるという意見だった。

景観だけでなく日陰と暑さを重視する意見

次に多かったのが、夏の暑さに直結するという見方だ。「心理的なものもあるけど、木陰がなければ夏はきつい」という意見があり、街路樹を装飾ではなく歩行環境の一部として捉えている。別の意見では「温度を下げる効果も費用対効果が高い」とされ、植栽や管理に予算を使っても意味があるという評価につながっていた。

韓国山林庁も都市林や街路樹について、熱島現象や微細粉じんなどへの対応策として扱っている。過去の都市林整備でも、大きな木を植えて微細粉じんの低減と都市の熱環境緩和を図る方針が示されてきた。こうした政策上の役割と、「夏に木陰がないとつらい」という生活者の感覚は同じ方向を向いている。

さらに「騒音とほこりまで遮ってくれる」という意見もあった。見た目の柔らかさ、日陰、暑さ、道路沿いの環境を一つの設備でまとめて改善できるため、「予算がかかっても植える方が得だ」という強い評価が出ている。

小さな公園とベンチまで含めて必要という体験

街路樹だけでなく、歩いている途中に立ち止まれる小規模な緑地を求める意見もあった。「ワンルームより少し大きい程度の公園でも増やす理由が分かる」という具体的な指摘である。その人は、ベンチすら見当たらず、休憩するにはカフェへ入るしかないような街では、コンクリートの建物を見続けることになり、殺風景さが強まると説明している。

この意見では、都市の緑は大きな公園だけを意味していない。道路沿いの木、集合住宅の間の木立、小さな公園、座って休める場所までを連続した生活環境として捉えている。単に「緑がきれい」という評価より、徒歩移動の途中で視界と身体を休ませる場所が欲しいという具体的な要求になっていた。

「刑務所の白い空間みたいだ」という連想も

緑のない景観を見て、映画やSF作品の背景を連想する意見も相次いだ。「完全に四方が白い刑務所の話を思い出した」という人や、人工的な都市を描いた作品のようだとする人もいる。現実の街というより、人物がまだ配置されていない映像や閉鎖空間に近く感じたという表現である。

その一方で、緑が多ければ多いほどよいという単純な好みではないことも語られた。田畑や山に囲まれた場所を苦手とする人が、それでも都市の建物の間には木が欲しいとした点がその例だ。「緑地は必須なんだな」という短い意見もあり、都市らしさを保ちながら適度に樹木を置くことへの支持が目立った。

銀杏の実や管理コストには現実的な不満も

街路樹を高く評価する意見が優勢だったが、維持管理への不満もあった。特に銀杏については「実をどうぞ、と落としてくる」と冗談交じりに扱われ、においへの不満が続いた。「においだけは防げなかった」という皮肉に対し、最近は実を付けない雄株へ替えているという説明が出ると、今度は花粉を気にする意見も続いている。

また、人口流出などで将来インフラを維持しない地域なら、植物をすべて取り除く選択もあるのではないかという少数意見があった。放置すると草木が広がり、道路まで使いにくくなるという体験が理由として挙げられている。これには「全部取り除くこと自体にも費用がかかる」「刈っても植物が再び広がらないわけではない」という反論が続いた。

既存の街路樹を撤去して駐車場にする地域もあるという指摘もあり、土地利用や維持費との競合を意識する人もいた。ただ、こうした管理上の問題を挙げた意見でも、都市の緑そのものを不要とする主張は少なかった。

多かったのは「街路樹は都市の必需品」という評価

全体で最も多かったのは、街路樹や小さな緑地を都市の飾りではなく生活環境の一部として必要とする意見だった。とりわけ、木を取り除いた街並みへの「息が詰まる」「無機質すぎる」という感覚が強く、次いで木陰による暑さ対策、騒音やほこりへの効果、小規模な休憩空間への評価が続いた。

一部には銀杏の実や花粉、維持管理、土地利用への不満もあったが、議論の中心は「木を植える費用が無駄」という方向には進まなかった。「お金をかけてでもやる理由がある」という言い方に代表されるように、都市に緑を残す費用を必要経費として受け止める意見が優勢だった。