
諸葛亮曰く、13年前に放送されたバラエティ番組の企画がSNSで海外にも拡散し、改めて批判を集めている。反応では「当時から不快だった」という声が目立つ一方、「過去の番組を現在の価値観だけで裁き続けるのは違う」という反論もあり、平成のテレビ表現をどう評価するかで意見が割れた。
直接反応には、当時見ていても最低だと感じていた、学校で番組の真似をする子がいて不快だったという経験談がある。過激な行為を笑いとして成立させる構造そのものを問題視し、「放送コードぎりぎりを攻めることを面白さと勘違いしていた」と振り返る声も出ている。
『昔だから仕方ない』では終わらない側
批判側が強調するのは、当時も誰も問題視していなかったわけではないという点である。番組を楽しんでいた人が多かった一方、女性出演者への扱いや身体を使った過激な企画を嫌い、見られないコーナーがあったという反応も複数ある。時代が変わって突然悪になったのではなく、当時少数だった違和感が今は表面化しやすくなったという見方だ。
また、テレビの影響力が強かった時代に子どもが行為を真似したという記憶は、単なる過去映像ではなく実生活の体験として残る。そのため再検証を「今さら」と切り捨てず、現在の制作で同じ失敗を繰り返さない教材にすべきだという意見につながっている。
過去を永久に裁くことへの違和感
一方、「昔一般に許容されていたものを今の基準で際限なく断罪するのはフェアではない」「現在それがおかしいと理解してやっていないなら、教訓にするところで止めるべき」という反応もある。過去の交通機関で喫煙できた例を挙げ、制度や常識が変わった後に昔の運用を現在基準だけで責めても意味がないという考えだ。
争点は、過去を無罪にするか断罪するかの二択ではない。何が当時から問題だったのかを確認し、現在へ教訓を残すことと、個人を永久に攻撃し続けることは別である。反応の分岐はまさにその境界をどこに置くかにある。
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